七夕の願い…。

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西の空を見上げて願うこと

今日は7月7日、七夕です。関東地方は曇り予報、雲の上でおり姫様とひこ星様が天の川を渡り、無事に再開できることを祈っています。

 

1年に1度、会えるなんてロマンチックな夜です。

 

地上に飾られた、たくさんの笹飾り、我が息子達の願いは…。

長男:「世界が平和になりますように。サッカーの仕事につきたい!」
次男:「有名なだいくさんになれますように」

 

長男の長年の夢だった「サッカー選手」から「サッカーの仕事」への変化が気になる…。諦めるのが早い!と言うべきか、世の中が良く見えてきた、自分がわかってきた、次の夢に向かって頑張れ!と、言うべきか…。悩むところ。勉強を頑張っている彼には、「目標を持って頑張りなさい」とだけ、言うことにしておこう。

 

そして、次男。幼稚園の頃から言っていた「大工さんになりたい」の夢は、本物か!私が「お母さんは昔、建築家になりたかったんだよ。でもね、算数が苦手だったので早々に諦めたの…」って話をしたこともあり、「お母さんの夢をぼくが引き継ぐんだね」なんて、うれしいことも言ってくれている。まだ8歳、3年生。気長に見守ることにしよう。

 

マンションに飾られた七夕飾りには毎年たくさんの願い事の短冊が飾られる。子どもだけではなく、ついつい大人も一緒に書きたくなる。小さな願い、目標を。

 

今年の短冊にはたくさんの「世界が平和になりますように」の願い。

毎日、毎日、この願いが叶う日に思いを馳せ西の空を見上げてはため息が漏れる。

 

悲しい事件が起こるたびに、平和を祈り、戦いがなくなる世界を祈る。むなしくなるような願いも、願わなければ叶わない。もしかしたら、この願いを叶えてくれるのは子どもたちの世代なのかもしれない。

 

私たちが作り上げてきた虚像のような平和。実感のわかない平和な世界。どうすればいいのか、茫然と見守るだけの大人たち。

 

いつか、この世界を見て、彼らが正しい行動を起こせるように、母は勇気と知恵と愛をたくさん与えよう。

 

地球の「だいち」を一歩一歩、歩き、「海」を渡り、この「星」を平和へと導いてくれることを母は願っているのだ。

 

久しぶりにココロのつぶやきを記してみる

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久しぶりの投稿は近況報告

さて、久しぶりに自分の言葉を書く作業に戻ってきました。

 

この5カ月間は与えられたキーワードを検索しまくり、決められた文字数を埋める日々でした。今年に入ってから挑戦していたまとめ記事のライターの仕事をここらで小休止しようと思います。

 

5か月間で36記事、300,000文字書きました。私の記事の総アクセス数は265,000アクセス。収入は…、合計10万くらい。現実は常に厳しいのです。

 

自分のライティングスキルのなさに底まで沈み、集中力のなさに呆れ、自分の甘さを突き付けられた感じです。

 

ここで、ちょっと気分転換。書くことは止めませんが、楽しく仕事を続けていくために、1点に集中していた視野を少し広げて、元々の私の仕事に軸を少し移して、楽しみながら書いていきたいと思います。

 

5か月間のライター修行は大変勉強になりました。常にSEOを意識したライティング、キーワードの選択、どうやってキーワードを上手く文章に練り込んでいくか。

 

もっともっといい文章、引っかかる文章を書けるようになりたい。ならば自分の場所でそれを挑戦してみようと、新たな課題を見つけて戻ってきました。

 

気が付けば6月です。1年の半分過ぎてしまう…。毎日はあっという間ですね。

 

2年生と5年生だった息子たちが、3年生と6年生になりました。夜、パソコンデスクに「一緒に寝ようよ~」と誘いに来た次男も、「おやすみなさい」と、ハグとキスをしに来てくれます。長男は「お母さんも早く寝てね」って、気遣いの言葉まで。子どもはどんどん成長していきますね。

 

子どもの成長と共に、自分も成長していかなければと背筋をただす毎日です。

 

久しぶりの投稿でしたので、軽い近況報告と所信表明をしてみました。

やっぱり、自分の言葉を書くと癒されますし、心の整理がついて軽くなります。

書くのを止めてはいけないと反省。

 

また始めます。毎日が新しい一歩という気持ちで。よろしくお願いいたします。

 

 

 

2011年3月11日に私が学んだこと。

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5年前のあの日を振り返る

2011年3月11日。あの日、私は長男の幼稚園のお友達の家へ、次男を連れて3人で遊びに行っていた。

 

幼稚園の卒業を控え、3年間仲良しだったお友達の家へ初めての訪問。なかなかスケジュールが合わず、放課後一緒に遊ぶことが出来なかったので、かなり前からスケジュールを合わせて、この日を楽しみにしてた。

 

3時少し前、お友達のいとこと子どもたち、5人で外で遊んでいた。その時、グラッと来た。食卓に座っていた私たちは顔を見合わせ、倒れたり、落ちてくるものはないかと周りを見渡した。飾り棚の上に飾ってあった写真立てが倒れた。すぐに子供たちを探す。目の前に見える道路がぐにゃりぐにゃりと波を打っていたのが映像のように今でも目に浮かぶ

 

子供たちは揺れ始めてすぐに、家の中に走り入ってきて、テーブルの下にもぐっていた。揺れが収まると私と友達はすぐに主人や実家の家族に連絡を取り始めた。間もなく小学生のお兄ちゃんが帰宅。学校での様子を話してくれた。二階家の友達の家では2階に置いてあった書棚や机の本が倒れてしまったと子どもたちは大騒ぎをして片付けに行った。

 

テレビをつけると、間もなく津波の情報を伝え始めていた。震度5強が記録された我が家の周りでは大きな被害はなく、私の家も特に何かが倒れたり、落ちたりしたものはなく、しっかりと閉めていかなかった備え付けの食洗器が引かれた状態になっていたのと、レンジ台のスライドテーブルが前に出ていたくらいだった。

 

マンションの1階はガスの緊急停止もなく(2階以上はガスの緊急停止信号が出て、元栓のスイッチがおりたらしい)、子供たちも地震の恐怖をそれほど感じることなく、その日を終えることができた。

 

でも、その日から日本の状況は一変した。周りの状況も一変した。小さな子供たちが春休み中に自宅にいるということで、とにかくテレビをつけずに、子どもたちと外で遊ぶようにしていた。マンションのお友達ご夫婦が東北、仙台出身ということもあり、ご実家の状況把握や、ご親戚、お友達の安否確認の情報収集をネットやテレビを使って付きっきりでされていたので、お子さんを預かり、家の兄弟と遊ばせていた。

 

そんな5年前のあの日、あの日からの数週間を、思い出していた。

あれから、私は何ができたのだろうか。私の中で何かが変わったのだろうか。

 

今でも、あの日の映像を見るだけで胸が苦しくなるのを感じる。込み上げてくるもので喉の奥がきゅーと締め付けられるように感じる。東北の今の状況を伝える情報番組を、ただ、遠くから、それを見ているだけしかできない自分。

 

東北の地であの揺れを感じ、被災者と呼ばれるようになってしまった方々の5年間、ご心痛、ご心労を考える。この5年間がその心を少しでも癒すものになっていたのかと思うとまだ、それを振り返るだけの時間は立っていないように思えるのはきっと皆同じだと思う。

 

全ては一瞬にして無くなる。

あの日、私が学んだことだ。

 

本当に必要な物なんて何もない。この体さえあればそれで十分だということを私は学んだ。

大きな家も、素敵な服もバックも靴も。想いでの詰まった写真までも、形あるものは全て壊れて無くなるものだ。

 

私が子どもたちに残してあげられるもの、それは、体に染み込ませた記憶、感覚に刷り込んだ教え、たくさん注ぎ込んだ愛。この体の記憶が全てなんだと思った。

 

あの日から、私はなお一層、子どもたちと一緒に過ごす時間を大切にするようになった。日々語り合うこと、一緒に食事をすること、一緒にお風呂に入ること、お布団の中でぎゅーっと触れ合うこと。そんな時間の中で、私たち家族の時間を記憶に刷り込んでいる。

 

この限りある時間の中で、私が両親から受け継いだものを私が子どもたちへ伝えるのが私の役目であり、母として子供たちに残せるものはそれが全て。色々な経験をさせてあげたい、視野を広げて、たくさんのものを見てほしい、たくさんの人と触れ合い、感じてほしい。それが親である、私たちができること。

 

あの日、流されていったたくさんの命が私たちに教えてくれたこと。私は忘れずに私の子どもたちに伝えよう。きっとそれが今、私が出来ることだと思うから。

 

毎日、5000文字のまとめ記事を書く!

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キュレーター修行を開始!

梅の花が満開を迎え、ホトトギスの声を聞き「うわ~、もう春なんだ~」と、まだ冷たい刺すような風の中にも春を感じるようになりました。季節は足踏みをしながらでも着実にめぐってきます。

 

この1,2カ月、はちみつ語を書くペースを少し落として、自分の中で一日5000文字を目標に文章を書くという挑戦を始めてみました。

 

昨年は久しぶりに新規のWebサイト作り、すっかり古くなってしまった自分の技術をバージョンアップすることに努めていました。レスポンシブWebデザインから始まり、Bootstrapでスマホタブレットと言った様々なデバイスへ対応したサイト作りのスキルを学び、CSS3をSASSを使って書いてみたりして。

 

その後、リキッドデザイン化したサイトをWordpressに移植し、様々なテンプレートを組み込む作業を楽しみました。いえ、苦しみました(笑)。

 

一通り制作を終え、まだ足りない技術や、不具合が起きる場所への対応を残しつつ、次のステップとして自分が取り組み始めたのが「書く技術」です。

 

今までWebディレクターとして、たくさんの文章を書いてきました。それはほとんどが企画書のため、プレゼンのための文章で、あるテーマを掘り下げて長い文章にまとめると言ったことをしたことがなかったので、これもまた私にとっての1つの挑戦となりました。

 

私が育児に一生懸命になっている間に、Webサイトの中ではキュレーションという言葉が認知され、キュレーションメディアというものが、アクセス数を稼ぐようになっていました。私も情報源として沢山のキュレーションメディアに日々触れています。

 

そこで湧き上がったのが、私もこういう記事を書いてみたいな~という気持ちです。でも、いきなり大手のキュレーションメディアに「ライター」としての採用を応募できるほど私には肝が据わっておらず、はてさて、私は一体どのくらいの書く技術を持っているのだろう…。と、それならば、自分がどのくらいかけるか試してみよう!と、とあるキュレーターメディアでライター登録をして、少しずつ書く作業を始めてみました。

 

最初は一つのキーワードに対して5000文字のテキストをまとめるのに、2日、3日かかり泣きそうになりました。多くの情報を集め過ぎて、それをとにかく詰め込むことに必死で、文章になっていなかったかもしれません。

 

それが、ようやく2カ月がたち、集めた情報を自分の中で消化し、自分の言葉で5000文字、8000文字、10000文字といった決められた文字数にまとめることが出来るようになり、一日1つのキーワードを5000文字程度にまとめるといった目標に少しずつ近づくペースで書けるようになってきました。

 

と言っても、まだまだ検索に半日以上かかり、まとめに半日。ほぼ一日作業で1つ書き終えるとぐったりです。ライターって大変な仕事!と、改めて思いました。それと同時に、昨年一年、Webサイトを作り続けた日々よりもずっと充実していて調べて書くことの楽しさを実感している毎日です。

 

今年1年間は「書く」作業を中心にもっと書く場を広げて行けたらな~と思っています。自分の中のテーマを掘り下げて文章にまとめたいとも思っています。毎日が時間との戦いなので、どこまでできるかわかりませんが、毎日「書く」は私の一番の癒しであり、生きがいになりつつあります。

 

ライターとして食べて行くのはWebサイトを作って稼ぐよりずっと大変なのも知りましたので、Webサイトの技術も同時に磨いて、やっぱりWebサイトはいつでも最新の技術で作れるようにしていたいな~という気持ちもありますので、本当に課題が山積みです。積み上げられた山を見上げながら、毎日自分を奮い立たせています。今日も頑張ろう!と。

はちみつ語は、自分が書いていて楽しくないと、読んでくださる方も楽しくない、と感じているので、とにかく楽しく書く!を目標にココロに感じたことを綴っていきたいと思います。

春、3月。旅立ちと始まりの季節を迎え、今年度の私の取り組みについての所信表明でした。

 

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夢の教室で"夢を諦めない"大切さを知る

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FC相模原の選手がやってきた

今日は小学5年生の長男のクラスに”夢の教室”がやってきた。地元サッカークラブチームの選手が子どもたちに”夢”についての授業をしてくださった。

 

講師としていらしてくださったのは、地元SC相模原の寺田 洋介選手と安藝 正俊選手。素敵な若者だ。憧れの選手がやって来たとあって、子どもたちの聞く姿勢も真剣、じっと選手を見つめてる。

 

「大切なことは3つ」

1.よく寝て、よく食べること。ちゃんと勉強して、たくさん遊ぶ。毎日の何気ない生活一つ一つも大切に、よく考えて過ごすようにすること。

2.夢を持ち続けること。夢へ続く道は人それぞれ。でも諦めずにその夢を追い続けることが大切。

3.周りの人を大切に、感謝すること。お父さん、お母さん、お友達、チームメイト、先生。みんな君たちの見方で、苦しい時に助けてくれる仲間。

 

そんなことを子どもたちに伝えてくれた。

 

お二方の選手がどうやってサッカー選手になるという夢を実現されたか。子どもの頃からのサッカーとの関わり方。中学校、高校、大学。サッカー選手になるためにどのような選択をしてきたか。簡単な生い立ちをお話してくれた。

 

寺田選手は、一度は教鞭にたち、社会人チームで練習を続け、夢が諦められずに長野、琉球のチームを渡り、相模原に巡り合った。


安藝選手は高校、大学とずっと選手になる夢を追い続け、その中での人との出会いが今のチームにつなげてくれたとのこと。

 

諦めないこと、周りの環境に感謝し、人を大切にすること。お二人とも学校の先生の免許を持つ。勉強も頑張ったのだ。そうやって、堅実にコツコツと自分の夢実現への道を探りながら歩んできた、その道の延長線上に今の位置があるのだろう。

 

幼稚園の頃から「将来の夢はサッカー選手になること」と、言っている長男はどんな気持ちで選手の話を聞いたのだろう。

 

まだ見ぬ長男の将来の姿が、前で話す二人の姿に重なり、なんだかよくわからないけど、涙が出た。夢を諦めず、追い続けるって…きっと8割がつらくて大変なことで、一つ一つの選択は容易ではなかっただろう。でもそれを乗り越え、自分で道を切り開いてきた方のお話はココロを打つものがある。一言の重み。夢の重み。

 

まだ相模原はJ3というカテゴリ。J1までの道のりは険しい。選手も仕事をしながら選手生活を続けている方が半分。厳しい世界だ。彼らはまだまだ夢の途中。

きっとこれから、長男も沢山の人に出会い、たくさんの事を経験し、ココロを震わすことだろう。何がどう彼の中で化学反応を起こし、彼を人として作りあげていくのかはわからない。

でも、親として、一つだけ伝えたい。
「今、君が持っている夢を持ち続けてほしい」
それが、一番君がやりたくて、好きで、あっていることだと。


母は思う。何も知らない子どもの頃に出会い、夢中になったものがやっぱり年をとっても最後の一つに残るんだと。それが追い求められる人生は素晴らしい。

東大に入るより難しい夢を見てしまった息子へ。母から贈る言葉

「みんなちがってみんないい」世界

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パステル書の講習会

先日、子どもたちが通う小学校PTA主催の成人教室に参加した。これは毎年PTAの主催で保護者向けに様々な講座、講演を企画、開催しているもので、今年の講座は「パステル書」。今年は私も学年委員としてPTA活動に参加しているので、企画立案、講座運営のお手伝いもさせていただいた。

 

今回の「パステル書」はPTA役員のお母さんのお友達が講師をしていて、ご紹介をいただき実現の運びとなった。ある程度年齢を重ね、色々な経験をしている女性が集まれば、どこかの誰かのつてで、どこかしらに素敵に輝く女性がいるものである。

 

今回の講師の先生もまさに同年代のお母さん。講座後に「「パステル書」を始められたきっかけやお仕事について、子育てについてお話をさせていただく時間があり、そちらも大いに参考になり、刺激を受けた。

 

子どもにとってのお母さんだけじゃない自分。家庭切り盛りする妻としてではない、社会との接点を持った自分。そんな自分探しの中で出会ったものを一つずつ、確実に自分の個性、技術、アイデンティティーとして確立されている女性は美しくて凛々しい。

 

今回は絵手紙のハガキにパステル粉を指につけて絵を描き、そこに墨で一文字をしたためると、いったもの。当日は先生が見本を2作品お持ちいただき、その見本にそって様々なパステルの技法を教えていただき、一人一枚の作品を完成させた。

 

用意された作品の文字「虹」と「幸」から、私は迷わず「幸」を選んだ。その時点で自分の中の「幸」というイメージが膨らみ、初めて指に触れたパステルの感触、指で紙に粉を広げ作り出す色の世界に、一瞬ではまってしまった。

 

手を通して描く色の世界はなんて温もりがあるのだろうと…。作り出したら止まらず、たぶんほんの数十分で作り終えてしまった。先生の作品や、技法のお手本から随分かけ離れたものが出来上がってしまったが、自分なりにココロの中の「幸」を描けたから満足した出来上がりだった。

 

そして、ふと周りを見渡すと…。参加したお母様方はきちんと先生のお手本にならい、技法を習得され、それぞれ個性を出しながらも教本にそった見事な出来栄え。全く別物を作ってしまったのは私一人だった。

 

「え、ヤバい、先生になんて失礼なことをしてしまったんだろう」と、後から後悔の念が…。最後にみんなの作品を黒板に張り付けて記念撮影をしたのだが、見事に私だけ違う作品。あ~、やってしまったと下を向いた。

 

私はこの時初めて、クラスの中で先生の言ったことをその通りにできない子どもの気持ちを理解した気がした。きっとその子なりに自分の想いがあり、自分の世界を楽しんでいるのだろう。

 

どうか、大人の皆さん、周りと違うことをやってしまう子供を責めないであげてください。きっとその子にはその子にとって自分の中に作られたイメージを変えることのできないこだわりがあるのです。それを良しとみなしてくれる世の中になるといいな~。

 

そして、思い出したことがある。米国留学時代のデザインのクラスで、私は驚いた。毎週出されるアートプロジェクトの課題、先生の指示通りの作品に仕上げていったのは私ともう一人の日本人留学生だけで、他の生徒は皆大胆に、先生が指示した規定から大きく外れた作品を作っていた。

 

その時、私は自分はなんて四角い人間なんだろうと、日本人としてのアイデンティティーを感じたものであった。数年の滞在だったが、この時感じたある種のショックが私の中ではずっと醸成され自分の個性の中にブレンディングされていったのだろう。

 

帰宅後にこのことを話すと、主人に「描きたいものがあったら、それは先生にきちんと習った後に、自分で自宅で作ればいい。行きなり習ったものと違うものを作るのは先生に失礼なのではないか」と…。本当に、子どもだったな~と、反省した。

 

もちろん、すぐに先生にメールを書いて、失礼をお詫びした。アートな世界でお仕事をされている先生なので、そんなことは全く気にしていらっしゃらないと、お返事をいただき安心したが、やっぱり私の行為は大人の社会ではあまり認められるものではないと、さらに反省をいたしました。あ~、これだから会社の中で働けないのかな…。

 

と、いろいろ考えることがあった講習会だったが、子どもを通しての素敵な出会いに感謝したい。

☆スクール&セラピー「Kukuna o ka la」
http://ameblo.jp/kukuna-o-ka-la/

インフルで学級閉鎖が襲う家庭内台風

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2016年インフルエンザ大流行

今年のインフルエンザはトリプルインフルエンザと呼ばれるらしい。


A型、B型、新型も全部一緒にやってきた。ついでに花粉症の季節もやってくるから始末に負えない。いつもなら、この季節を軽くスルーする子どもたちが通う小学校もこの大型流行には負けてしまったようだ。

 

先週の月曜日に1クラスの学級閉鎖が知らされると、次々に毎日1クラスずつ増えて、木曜日までに全部で5クラスが学級閉鎖になった。全学級が12クラスしかない小さな小学校だから、ほぼ4割の子どもたちが家庭内待機になってしまった。

 

我が家でも水曜日、次男の担任の先生から電話をいただきお迎えに。37度5分の発熱。既にその日3人目の早退者。5人お休みをしているので、たぶん学級閉鎖になると思いますとのことだった。

 

ふと、その時、脳裏をよぎったのは、もし、私が都内(通勤時間が1時間)で働いていて、すぐにはお迎えに行けなかったらどうしよう…。とか、フルタイムで仕事をしていたら、これから5日間、会社を休むか、低学年の高熱を出している息子を一人家に置いていくのか…。

 

もちろん、フルタイムで働いていたら、この選択には主人も入ってくるのだが。きっとこの学級閉鎖の期間、多くのご家庭の夫婦間でこのような話し合いがあったことだろう。

 

次の日には長男のクラスも学級閉鎖になり兄弟そろって自宅待機になってしまった。週末、楽しみにしているサッカーも弟が感染者のため、兄も感染の疑いがあるということで、お休みをさせた。主人も野球のコーチをお休み。とにかく菌を他の人に移してはいけないと、家族みんなで家にこもった週末だった。

 

学級閉鎖の子供は、お稽古ごとなどもお休みさせなくちゃいけないの?と、ふと沸いた疑問。クラスで流行していた菌を保有しているかもしれないから、やっぱり外に出ないほうがいいというのが、一般的な考え方らしい。私だったら、家族に患者がいなかったら出してしまうだろうな、と思うのだが…。「その家族のモラルによるよね…」と、友人の一言。

 

現在の家庭の状況や社会の状況を考えれば、自宅待機が妥当なのだろう。受験生を抱えたご家庭、絶対休めない仕事を抱えている親、とにかく、我が家への感染はごめんこうむりたいとみんなが思っている。

 

私が子供だった頃は、もっとアバウト、おおらかだった…、ような気がする。風邪を引けば、「ちゃんと手洗い、うがいをしないから」と、母に言われるくらいで、どっから移ったか、誰と一緒にいたかなど、とんと無頓着だった。今は、感染してしまった親からメールが来る。「スミマセン、うちの子が移してしまったかもしれません」菌の犯人探しなど、誰にもできないのだけれど。

 

週末、「我が家のモラル…」について釈然としないもやもやを抱えていたので、身近な友人に聞いてみた、どう思う?モラルって?

 

友人曰く、「今は風邪を引いていようが、熱があろうが、とにかく子供を外に出してしまう家庭もある。逆に、すごく神経質になる家庭もある。だから仕方ないんじゃないかな、臨機応変にその場にあった対応をしていけばいいんじゃない」と。

 

モラルと言われてしまうとドキっとするが、各家庭がその場にあった判断をしていくしかない。切羽詰まって、熱のある子供でも保育園に連れて行かなくてはいけない親もいる。見えない菌の犯人探しに神経をとがらせる親もいる。

 

もっと大らかに、風邪を引いたらみんなお家でゆっくりしよう。お母さんが作ってくれたお粥で暖まろう。菌なんて、いつでもどこからでも風に吹かれてやってくるもの。手洗いとうがいで、自分の事は自分で守る。って、少しずつみんなのココロにスペースがあれば。どこの誰の菌かなんて気にしない。かかったらゆっくり休めばいい。そんな世の中になってくるといいな~と。インフルエンザのこの季節、毎年思うのである。