戦争も殺し合いもない世界を願って
74年前の12月8日を忘れない
日曜日の夜。静かに一人でお風呂に入る。
平日は子どもたちと賑やかにせわしなく過ぎて行くお風呂の時間。
週末は、ホッと一息、読みたい本や雑誌や新聞を手に長湯する。
新聞を眺めながら、お風呂の中の世界地図を見る。
世界の中の日本。小さな島国。
今、世界が注目する中東、西アジアの地から距離は遠く、様々な雑音は届きにくく、感覚を鈍らせる。
ヨーロッパの国々はより直接的なかかわりを強めている。
遠い国の出来事ではない。隣の国で起こった悲劇のために、友人として黙ってはいられないと言うかのように。
日本と同じ敗戦国、ドイツでも、一歩二歩。世論を背景に隣国と足並みを乱さぬようにと、慎重な一歩が踏み出されている。「侵略戦争を放棄する基本法」を持つ国。そのの重みを忘れないでほしい。
もし、日本の隣国で、日本で同じようなことが起こった時、日本人はどんな判断を下すのだろう。
「戦争はしない」と誓いをした国。
「戦争はしない」と、教育を受けた国の人々。
時代は動いている、世界の流れは変わってきていると、言う人もいる。
それでも、人間として、守らなければいけないルールは変わることはない。
どんな時代でも、どんなに時が流れても。
人は人を殺してはいけない。
だれも、人の命を奪ってはいけないのだ。
どんな理由があったとしても。
人として、普遍的な約束。
74年前の12月8日。間違った判断を下してしまった日。
その日を、それからの日本が歩んできた道を忘れないでほしい。
日本から笑顔が消えた日々。
悲しみに涙した日々。
誰の子どもも殺されてはいけない。殺してはいけない。
戦争は殺し合いでしかない。
何も解決はせず。悲しみだけが残るのだ。
日本人として誇りを持ち、武器を持たず、戦わず、毅然とした態度で世界中の人と話ができる国であってほしい。
仲良しのお友達に引きずられて、やりたくないけど、やらされました・・・なんてことが、無いように。お母さんは祈っている。