野望を夢という美しい言葉に置き換える
夢じゃ飯はくえないけれど
大人はなぜ夢を語らなくなるかを考えた
「夢」って、子供じみた言葉かな。
「ふん」って鼻で笑われちゃう?
あ、今、笑ったでしょ・・・。
口にするのは気恥ずかしいこと?
実現しなかったらかっこ悪い?
ココロにそっとしまっておきたいこと?
自分を見透かされてしまうから?
もちろん、語らなくたっていい。
そっとココロの中で思い描くだけでいいんだ。
それでも、大人になると、「夢」を描かなくなるのかな。
現実に忙しいから。
「夢」を持ったって、今の状況を変えることなんてできないから。
今、目の前にある仕事をこなしていくのが一番大切。
もちろん、「夢」じゃ飯は食っていけないだろ。
普通の大人はそう呟くのかもな。
45歳の私が持つ夢は地に着いた、現実的にこなしていきたい「目標」。
「夢」という名の「野望」と呼ぶかもしれない。
たいしたことない野望なんですけど。
やりたいことリストみないな。
今年の目標みたいな。
でも、そんな「目標」も「野望」もみんな「夢」として抱えていこう。
「夢」って素敵な響き。
「夢」を持っている自分が素敵。
「夢」に向かって努力するなんて、子どものころは出来なかったけど、今なら出来る気がする。
どんなことだって「夢」にするとたちまち昇格して、「よし、それに向かってやってやろうじゃない」って思えるから。
だから、どんな小さなことでもいい。
「夢」にしてしまえ。
来年の今日。
100人の人が「はちみつ語」を読んでいてくれるのが私の夢。
今は1人かもしれない。
それが100倍って。すごいでしょ。
100倍の夢を見て。
今日は眠ることにします。