肌の色、宗教、民族、国を越える願い
池田綾子さんの「数え歌」
昨夜は久しぶりに長男、次男と一緒に3人でお風呂に入った。
狭いマンションのお風呂は、ギューギュー。
世界地図を見て、「サモア」を探す長男。
ラグビーの影響かな。
小さい国にびっくりした様子。まわりに沢山の島々。
「地球温暖化が進んで、南極や北極の氷が溶けだし、この辺りの島は沈んじゃうかもね・・・」
と、呟く母。
どうか、そのようなことがないように・・。
フランスに集まるお父様方にこの思いが届きますように。
外務省 水没が懸念される国々
さらに世界地図の「リベリア」の国旗を見て、次男が
「この国旗、アメリカに似てるね」
なぜ国旗がアメリカに似ているか知ってる?
アフリカ大陸、リベリアの建国の歴史。
そんな世界に思いを馳せている母の前で二人が歌いだした歌。
学校の今月の歌。
毎月1曲を全校生徒で練習し、朝や朝会などで歌っている。
先日の授業参観の際、次男の教室で後ろに立って参観をしていると、授業の終わりに全員が後ろ向きになり、歌ってくれた歌。
子どもたちの元気で大きな歌声、純粋なココロが届き、思わず涙・涙・涙。
”世界中にあふれてる 未来はほらその手の中
七色の虹のように 七つの海をこえてゆける数え歌空にひびけ 星の夜に光る朝に
友達や家族のように 歌ってほら手をつなごう
へだたりも何もない この地球は つながってる”数え歌の歌詞より
どうか、この子どもたちの時代には、肌の色も、宗教も、民族も、国も越えて、皆が手を繋いでいる世界でありますように。
母の願い。
歌詞はこちらから
子どもの差別的な発言に潜むココロの闇
呟きは一瞬にして世界に拡散
次男がクラスの集合写真を持って帰ってきた。
お友達の一人のポーズがなんだかおかしな恰好になっていたようだ。
「この、○○のポーズ、キモイ!」
この一言を聞いた瞬間、私はハッとして、すぐに次男を強く強く注意した。
「たまたま、写真に写ったときのポーズを見て、みんなに”キモイ”って言われたら、あなたならどんな気持ちがする?」
「そんなこと言われた嫌でしょ。悲しいでしょ。」
「人に対して”キモイ”って言葉は絶対に言ってはいけません」
「お家の中だからって、そういうことを軽々しく言っていると、お友達の前でだって、ぽろっと言っちゃうんだよ。だから、絶対にその言葉は使わない」
どんな些細な会話の中にでも、絶対使ってはいけない言葉が発せられたときに、私は厳しく注意する。怒る。
それは絶対言ってはいけない言葉。
何度も繰り返し、子どもの脳に刷り込む。
やんちゃ盛りの男の子は、概してそういった言葉を使いたがる。
ふざけ半分に。ノリで。
でも、絶対口にしてはいけない言葉がある。
ふざけ半分でも。ノリでも。
それを親はきちんと伝えなければいけない。
親の責任。
先日の男子高校生のツイッターへの書き込みが大きなニュースとなっている。
人種差別投稿の高校生が謝罪… byサッカーキング
http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151201/375480.html
茶の間で、呟いた、叫んだ言葉をそのまま、インターネット上で呟いてしまったのだろう。
深く考えもせず。
”インターネット”は茶の間でも簡単に世界中の人に呟ける。
茶の間から外に出るはずのなかったほんの一言のつぶやきが、数時間後には世界中の注目の的になる発言になるのだ。
その怖さを、大人は教えなければいけない。
どんな小さなつぶやきでも、口にした瞬間、人々の脳にコピーされ消すことはできないのだ。
日常的な言葉の中に、使ってはいけない言葉が発せられたときに、きちんと丁寧に子供に教えなければいけない。
ふざけ半分でも、ノリでも。
絶対に口にしてはいけない言葉。
聞いただけで悲しくなる言葉。
見逃してはいけない。子どもがその言葉を発したときの心理を。
次男の言葉の奥に潜んでいる、友達に対しての感情。
たった一言の中にも、次男のココロの中を垣間見る。
だからなおさら、子どもの言葉には注意を払って聞き耳を立てる。
親の責任。きちんと果たして子どもを社会へと送りださなければ・・・。
負の感情を自分の中から消し去る方法
苦手な人の攻略法
世の中には、苦手な人が必ずいる。
あ~、今日会うんだ。
一緒にいるの気が重いな~。
話すことが見つからないよ。
そんな思いを持ちながら一緒の時間を過ごすのはすごく大変。
だったら、苦手な人をちょっと格上げして、「苦手じゃない人」「普通に話せる人」にすることができたら・・・。
攻略法を考える。
一緒にいる時間が少しでも楽しい時間になる方法。
まずは、挨拶。
会った時の第一声は必ず、大きな声で明るく笑顔で「おはようございます!」
これを言われて、嫌な顔でスルーする人はまずいない。
笑顔で挨拶されたら、「自分は笑顔で挨拶してくれる範囲の人なんだ」と築いていた壁をぐっと低くしてくれる。
ここで、笑顔で目を合わせることができれば、その日の残りのコミュニケーションの50%は成功したようなもの。
次の会話もスムーズに始められる。
間違っても、こそっと、見つからないようにしていてはいけない。
すると、一言目を話すタイミングがどんどん難しくなる。
二人の間の見えない壁はどんどん高くなっていく。
ここは勇気をもって、いつもよりワンランク上の挨拶を心掛ける。
2つ目は。
三歩、歩み寄る。一歩では足りない。自ら、三歩ぐらい歩み寄ってみる。
例えば、メールは要件だけで終わらせない。必ず一言二言、余計な言葉を付け加えてみる。
自分の事を少しだけ話して、知ってもらうのもいい。
季節やニュースの話題に自分の感じたことを添えてみるのもいい。
相手のことを思いめぐらし、気遣った言葉を送れたら最高。
個人的な一言二言は、ココロの距離をぐっと近付ける効果がある。
自分自身の違った部分を見せれば、相手だって、自分に対して違ったイメージを持ってくれるはず。
一歩、相手に近づく努力を自分からしてみるのが大切。
3つ目。
苦手なところを忘れる。
これは難しい。
しかし、その人は自分の苦手な部分だけでできているのではない。苦手な部分を忘れてしまえば、その人の違う面が見えてくる。
沢山のその人の違う部分を見つければ、違う見方も生まれてくる。
気が合いそうな部分が見つかれば、みっけもの。
苦手を意識してしまうと、どんどん苦手が大きくなる。
だから、嫌なことは忘れる。これに限る。
さて、これらの方法が全て上手くいくかは、分らない。一人一人対応も違うだろう。
でも、毎日を楽しく生きたい。
負の感情は楽しい気持ちをそいでいく。
だから、負の感情は自分の中からどんどん削除して、楽しいことだけを積み重ねていこう。
この努力はやがて、「苦手な人」というカテゴリを自分の中から消してくれるのにも役立つだろう。
話したくないことは話さなくていいんだ
今日は母のココロのつぶやき
いつもより、10分遅い帰宅。
次男がドアを開ける音。
いつもの勢いがない。
涙をこらえる息づかい。
「お帰り~」の私の声に反応するかのように、涙をこらえる声。
すぐにパソコンの前から玄関へと向かう。
「お帰り」と、ぎゅっと抱きしめ、リビングまで手を引く。
もう、涙がこらえきれないようだ。
ランドセルを下ろさせ、そのまま抱きしめて膝の上に座らせる。
私の胸の中で、もう涙は止められなくなっていた。
背中をさすると溢れ出す涙。
ギュッと抱きしめて、落ち着くのを待つ。
数分泣いた後、気が済んだのかすくっと立ち上がり「神社に遊びに行ってくる」と。
「誰と遊ぶの?」と聞くと。いつものメンバーの名前を挙げる。
大丈夫。遊ぶお友達が沢山いるんだね。
宿題もやらずに、「少しゆっくりしてから出かければ?」の声を振り切り、外へと駆け出して行った。
心配はしていないけど、何があったかな・・・。
帰宅後は荒れた。全てに当たっていた。やっぱり何かあったんだろうな・・・。
兄は苦笑いしながら、弟にぶたれていた。ありがとうお兄ちゃん。
お風呂でいつものように学校のことなどを話してくれたが、泣いた理由には触れない。
私も触れないでおこう。
そうやって忘れられることならそれでいい。
忘れられず、話すこともできないくらいココロに重い石を抱え込んでいるのなら、ゆっくりとゆっくりと溶かせばいい。時間と父と母と兄の愛がきっと石を溶かしてくれる。
キミはキミのままでいいんだ。大丈夫。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんは何時でも君の見方だよ。
それだけを伝え続けよう。
外に出れば嫌なことはある。
思い通りにいかないこともある。
打ちのめされることもあるだろう。
話すこともできないような重い石ころはゆっくりゆっくり溶かしていくしかないんだ。
お母さんはキミを信じているから大丈夫。
キミならどんなことだって乗り越えられる。
時間と愛が君を強くする。
初めて泣いて帰ってきたので、母はちょっと動揺したけど。
たぶん、次男は大丈夫。なんとなくそう確信している。
私たちが子どもに伝えてあげられること
世界を覆う冷たく重い雨雲
子どもたちとのお風呂タイムはたわいもない会話を楽しむリラックスの時間であり、子どもたちのココロの動き垣間見る貴重な時間でもある。
長男はそろそろ卒業して、一緒に入ることも少なくなったが、次男は私とお風呂に入りたがる。
今日も次男と湯船につかり、壁に貼られた世界地図を見ていた。地図に書かれた「サのつく国を探せ!」という指令に取り組む次男。そのうちに国の大きさや、形、好きな国旗などの話に移る。そして、次男が一言。
「フランスには行きたくない。っていうか海外旅行は行かない。だって今、戦争してるんでしょ。」と。
私が慌てて
「戦争なんてしてないよ」と、言うと。
「そうだ、攻撃されてるんだ」と。
「攻撃って言うか・・・。狙われて、しまったんだけど・・・」と、何て返していいか、戸惑う私。
そこで、この話は通り過ぎて行ってしまったのだが。私の中で腑に落ちない、説明しようのない言葉が宙に浮く。
先日も長男がフランスのテロの経緯を詳しく解説していたテレビのニュースを見ながら一言。
「ISをみんな殺しちゃえばいいんじゃない」と。
私ははっとした。すごく単純で物事の一面しか見ずに導き出されるその発言に。
子どもならば当たり前の思考回路かもしれない、でも・・・。
「人を殺してしまえば、済むのかな。殺された人たちにも家族や大切に思う人たちがいるんだよ。」と。
もしかしたら、報道を見た沢山の人が、長男と同じように思ったのかもしれない。でも、それでは何も解決しないんだと、世界中の人が思っている。
もどかしさが世界を覆う。
一歩間違えれば、第三次世界大戦。なんて言葉が全くの見当外れでもないような雰囲気。
これからの世界を作っていく子どもたちに、今の世界をなんて説明すればいいのだろう。
国を捨て、住む家を探して国境を渡る人々。
見えない恐怖に怯える人々。
いくら人々が国境に線を引いても、それはもはや虚しい努力。
情報も人も爆弾も、今は簡単に国境を超えてやってくる。
ココロに武装はしたくない。
必要なのは正しい知識と、何が正義かを見極めることができる目を持つことだ。
手を胸に当て考える。
青く美しい地球を汚すことのない世界を繋いでくために。
私たちが子どもたちに伝えるられることは何?
ISパリ同時多発テロ:仏は子どもたちにどのように伝えるのか by International Business Timeshttp://jp.ibtimes.com/articles/1610721
同じものを観て、一緒に感動すること
子どもの心に寄り添う方法
夢団 「ジャングルブック」より http://www.yumedan.jp
今日は子どもたちの小学校でミュージカルが上演された。PTA主催の周年記念行事の一環だ。
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